WRC(世界ラリー選手権)のジャパンラウンドが、2023年も11月にやってきます。愛知と岐阜の公道を使用して行われる、世界最高峰、そして最速のラリー競技です。日本のメーカーでは、現在トヨタがトップカテゴリーに唯一参戦していて、今季はドライバーズ、コ・ドライバーズ、マニュファクチャラーズの3つのタイトルすべてでチャンピオンを獲得しました。今年のラリー・ジャパンは、凱旋ラリーとなるので大いに盛り上がるでしょう。
今はトヨタしか参戦していないWRCですが、かつては日本のメーカーが多くエントリーしていました。スバルや三菱が有名ですが、マツダや日産なども参戦していた時があるのです。その時期とは、市販車をベースに改造したクラスで争われた、グループAの時代です。
グループA自体は1980年代前半から存在するカテゴリーですが、WRCのトップカテゴリーとなったのは1987年から。それまでのトップだったグループBが、実質改造制限の少ないプロトタイプの争いとなり危険化したため、86年で廃止。代わりに昇格した下位クラスのラリーカー規定がグループAでした。グループA規定は参戦メーカーも多くなり、その後96年まで継続しました。今回はそのグループA時代に参戦していた、代表的な国産ラリーカーを紹介していきます。
◆スバル インプレッサ
1993年にレガシィの後継としてWRCへ投入された、コンパクトセダン。ベースとなったのは、2.0Lボクサーターボエンジンを搭載したスポーティグレードのWRXでした。93年はスポットで数戦エントリーし、翌94年からはシーズンフル参戦が始まりました。
マシン開発とラリーチームの運営はスバルではなく、イギリスのレーシングコンストラクターであるプロドライブが請け負いました。そのプロドライブが見つけ契約した若きイギリス人ドライバー、コリン・マクレーがインプレッサを駆りWRCで大躍進を遂げます。
コンパクトなボディにパワフルなボクサーエンジン、そしてインプレッサが持っている重量バランスのよさなどが相まって、マクレーは順調に勝利を重ねました。翌95年には年間8戦のうち3勝をあげ、自身初のドライバーズチャンピオンを獲得。スバルにも初のマニュファクチャラーズチャンピオンをもたらしました。
インプレッサの快進撃は翌96年も続き、2年連続のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。97年から始まったWR(ワールドラリー)カー規定へ、その技術を継承していきます。
◆三菱 ランサー
スバル インプレッサとは市販車の世界でもガチのライバルでしたが、WRCでもその構図は変わりませんでした。WRCには1993年の開幕戦ラリー・モンテカルロに初登場。大型のリアスポイラーを装着した特別なモデルには「エボリューション」の名が加わっていました。
それまでの参戦車であったギャラン VR-4から、エンジンとパワートレインはそのままにひと回り小さなボディへと変えるため、白羽の矢が刺さったのがランサーでした。名機4G63型エンジンを搭載したランサーエボリューションは、コンパクトさとエンジンパワー、そしてアクティブデフをはじめとした三菱が世界をリードする電子制御4WD技術の進化によって、次第に頭角を表し始めます。
その後、年を追うごとにランサーエボリューションはⅡ、Ⅲと進化していき、96年にはエースドライバーのトミ・マキネンがドライバーズタイトルを獲得します。翌97年からは、WRカー規定へ移行したライバル勢とは一線を画し、グループA規定で継続参戦。99年までマキネンがドライバーズ選手権を4連覇する偉業を成し遂げました。
WRCで培われた三菱独自の4WD技術は現在の市販車にも生かされ、電動4WDの電子制御技術へと継承されています。
◆トヨタ セリカ
1988年にWRCデビューしたトヨタのグループAカーが、セリカ GT-Four(ST165型)でした。それまでもWRCには70年代から参戦してきたトヨタでしたが、ワークス体制でシーズンフル参戦したのは、このセリカ GT-Fourが初となります。
コンパクトなクーペボディに2.0Lターボの3S-GTE型エンジンと4WDを組み合わせたパッケージングは、次第に速さを見せ始めます。のちに、当時最強の名を欲しいままにしていたランチア デルタに初めてストップをかけた存在へと成長しました。
89年には名手カルロス・サインツが加入。翌90年にサインツはドライバーズチャンピオンに輝き、トヨタ初のWRCタイトルがもたらされます。これはWRCにおける国産車の初タイトルにもなりました。
その後、ベースモデルのモデルチェンジに伴い、ST185型、ST205型へと進化していきましたが、メカニズムはすべて踏襲。93年には国産車初となるマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得します。トヨタは撤退する95年までにドライバーズで3度、マニュファクチャラーズで2度王座に輝き、グループAで一時代を築き上げました。
◆マツダ ファミリア
まだグループAの前身であるグループBがWRCのトップカテゴリーだった頃から、市販車ベースのラリーカーにこだわり参戦をしていたメーカーがマツダでした。どの国産メーカーよりも早く、86年からワークス体制でエントリーしています。
ベース車は6代目ファミリア。国産車で初めてフルタイム4WDを搭載したクルマとして話題になった、GT-Xというグレードがベースに選ばれました。エントリー名はファミリアではなく、欧州での名称でもある「マツダ 323」でした。
参戦から2年目の87年には、オールスノーラリーのスウェディッシュ・ラリーを制覇。まわりのライバル勢がみな2.0Lエンジンのなか、非力な1.6Lツインカムターボを搭載しながらの勝利は、大きなインパクトを与えました。
89年に市販車が8代目へフルモデルチェンジすると同時に、ラリーカーも新型へ移行し1.8Lへ排気量をアップ。WRCのさまざまなイベントで入賞し実力を見せましたが、90年以降は勝利に恵まれず。WRCではわずか3勝しかあげられず、92年にワークス活動撤退を決めました。
しかし、グループAより改造範囲が狭く、より市販車に近いカテゴリーのグループNでは89年と91年にドライバーズチャンピオンを獲得。その実力の高さを証明しました。
◆日産 パルサー
1990年にデビューしたコンパクトハッチバックの4代目パルサーに設定された、2.0Lツインカムターボ+4WDのトップグレード「GTI-R」。これが日産のグループAラリーカーのベースとなったクルマでした。
GTI-R専用にチューニングされ230ps/29.0kgmを発生したSR20DET型エンジンを、全長4mにもみたないコンパクトなボディに収め、日産自慢の4WDシステム「アテーサ」を搭載したパッケージングは、WRCで最速になってもおかしくない仕様でした。
91年に鳴り物入りでWRCデビューしたパルサーGTI-Rでしたが、参戦開始以来のベストリザルトは、92年スウェディッシュでの総合3位。名だたる名手がドライブしながらも、実際はコンパクトすぎたボディが災いし、さまざまな不具合が起きてしまいました。結局日産は、WRC未勝利のまま92年を最後にトップカテゴリーから撤退を決めます。
グループAでは不遇の結果に終わったパルサーGTI-Rでしたが、マツダ ファミリア同様下位カテゴリーのグループNでは活躍し、92年にはドライバーズタイトルを獲得。この年は選手権を1-2で終えるほどの活躍を見せました。
◆今ではどのベース車も高額で取引される対象に
ここまで1990年代を中心に活躍してきた、WRCのグループAカーについて解説してきました。2023年現在ではもう30年以上前のクルマにあたるわけですが、昨今のネオクラシックブームや、日本の高性能車ブームのせいもあり、どのベース車も価値が高騰しています。
当然ながら流通量も極端に少なくなっていますので、改めて手に入れることはハードルが高く感じるかもしれません。逆に今も所有しているのであれば、完全な不動車などコンディションが悪くないという条件は付きますが、高価買取は確実だともいえるでしょう。
この先、価値が下がることはあまり考えにくいので、売り時の見極めが必要です。より高く買い取ってもらえるよう市場の動向はチェックしておきましょう。
<文=青山朋弘 写真=スバル/マツダ/日産/青山朋弘>